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「京人形」を支える、京都の職人の技

2023.3.3

雛まつりや端午の節句に寄せて―― 雛人形や甲冑に命を吹き込む、京都の「人形師」の工房を訪ねて


3月3日は桃の節句。古来、「上巳(じょうし)の節句」といわれたこの日、女子の成長を願い、雛人形が飾られる。また、5月5日の端午の節句には雄壮な甲冑飾りが登場する。こうした雛人形や甲冑の製作を統括する京都の職人は「人形師」と呼ばれ、彼らが手掛けた雛人形や甲冑は、「京雛(きょうびな)」「京甲冑(きょうかっちゅう)」として、古くから最上のものとされてきた。京都には、「京雛」と「京甲冑」に携わる小さな工房がいくつかあり、細やかな手作業が連綿と受け継がれている。早春の一日、そんな小さな工房を巡った。



東山三条 田中人形
十九代にわたって受け継いできた一子相伝の技

 

「京雛」と「京甲冑」を手掛ける代表的な工房として知られるのが「東山三条 田中人形」である。天正元年(1573年)にはすでに初代が製作に携わっていたとされ、以来19代にわたって「一子相伝」の伝統の技を受け継いできた老舗だ。伝統工芸士に認定されている当代の田中光義さんをはじめ、幾人もの伝統工芸士や職人を擁し、東山三条の工房で製作を続ける一方で、店舗では一般顧客にも販売をしている。

 

壮麗。東大路通りに面した「東山三条 田中人形」の店舗内はそんな言葉がふさわしい。3組の豪華な七段飾りと、それを取り囲む数えきれないほどの親王飾り、お雛様の気品に満ちた微笑み……。空気までもがほんのり桃色に染められているかのような店舗で、19代人形師、「平安光義」の称号を持つ、当代の田中さんにお話をおうかがいした。



「田中人形」の店舗を華やかに彩る豪華な七段飾り。京都の雛飾りは、宮中のしきたりに則り女雛が向かって左。 「田中人形」の店舗を華やかに彩る豪華な七段飾り。京都の雛飾りは、宮中のしきたりに則り女雛が向かって左。

「東山三条 田中人形」の店舗を華やかに彩る豪華な七段飾り。京都の雛飾りは、宮中のしきたりに則り女雛が向かって左。



装束や道具なども含め、宮中の儀式や先例を忠実に再現

 

「雛人形のなかでも『有職雛』と呼ばれるものは、束帯や十二単などの装束をはじめ、道具類の飾り方にいたるまで、宮中の儀式や先例などを忠実に再現しています。たとえば帝が正式な儀式のときに召される装束の色は、『黄櫨染(こうろぜん)』と呼ばれる、暗い赤みがかった黄色で、帝のみ着用が許される『絶対禁色』です。もっとも格式の高い雛飾りの場合は、男雛には西陣で織られた、黄櫨染の装束を着付けます」

 

 

「東山三条 田中人形」では、西陣織の最高の生地を用い、古式に則った人形が作られている。たとえばお雛様の十二単。実際の十二単と同じ長さの裾を纏っているので、座り姿のお雛様の後ろ側は、驚くほど長い裾広がりとなっている。また、三人官女の持ち物や並び順にも決まりがあり、それらはすべて宮中のしきたりが基本となっている。



「皇宮雛」と名付けられた立雛 「皇宮雛」と名付けられた立雛

「皇宮雛」と名付けられた立雛は、当代が手掛けた作品。胴の造りから衣装まで、すべて立姿のために使われる特別な技法を使用し、今にもこちらに向かって歩き出してくるかのような佇まいを醸し出している。男雛の装束の色が、絶対禁色の「黄櫨染」。



「髪付師」、「手足師」などの分業体制を統括するのが「人形師」

 

東大路通りを挟んだ店舗斜め向かいに、「東山三条 田中人形」は工房を構える。工房が忙しくなるのはお盆過ぎで、翌年の雛の節句に向けた作業が佳境を迎える。京雛の製作は完全な分業体制だ。お顔を作る「頭師(かしらし)」、頭に髪の毛を植え付け古式に則った髪型に整える「髪付師」、桐を削って手足を作る「手足師」など、それぞれ熟練の技術を持った職人が独自に工房を構え、見事なチームワークで作りあげていく。その中心となるのが、「着付師」とも呼ばれる「人形師」である。衣装の色柄の選定、裁断、縫製を行いつつ各職人へ指示を出す、いわば人形のプロデューサー的な存在だ。この「人形師」のもとに、それぞれの職人が仕上げてきたパーツが集まり、「人形師」が胴に手足をつけ最後に装束を着付ける。

 

 

「職人さんたちが丹精込めて作り上げた品々があってこその『人形師』ですから、京都に脈々と続く、手業の歴史と文化をいつまでも大切にしてきたいと思います」

 

命が吹き込まれた京人形を手にする田中さんの表情は、どこまでも優しい。



衣装となる布の裏に、和紙を丁寧に貼りこんでいく 衣装となる布の裏に、和紙を丁寧に貼りこんでいく

衣装となる布の裏に、和紙を丁寧に貼りこんでいくことで、布に“腰”が生まれ、着付けた際に衣装が張りを持った状態になる。京人形が最上とされるのは、こうしたひと手間があるからこそ。



人形の手の工程 人形の手の工程

人形の手の工程。細い針金に幾度も胡粉を塗って指を成型し、そこに細かな細工を加えながら、指先の微妙な表情を作り出していく。指一本の曲げ具合まで緻密な作業が続く。

東山三条 田中人形
京都市左京区東大路通仁王門下ル東門前町528



誉勘商店
雛人形の衣装は、極上の織物の代名詞「西陣織」

 

煌びやかで、万華鏡のような輝きを放つ雛人形の衣装は、金糸を用いて金模様を織り出した、「金襴(きんらん)」と呼ばれる織物が主に用いられる。産出される京都市内の地域名を冠したこの織物が、極上の織物の代名詞ともいわれる「西陣織」である。「誉勘商店(こんかんしょうてん)」は、室町の地で270年以上にわたって金襴正絹織物を扱う製造卸問屋として知られる老舗だ。



誉田屋勘兵衛 誉田屋勘兵衛

通りに面した千本格子に二階の虫籠窓(むしこまど)。典型的な京の商家のたたずまいを今に伝える「誉勘商店」の店構え。



「誉」の文字をあしらった屋号が染め抜かれた暖簾と、格調高い千本格子の連なり。室町通りに面した「誉勘商店」の店構えは、一見、質素を旨とする京都の商家ならではの佇まいだが、暖簾を潜り店の間にあがると、雰囲気は一変する。壁の棚を占めるのは、金襴の生地。筒状に巻かれて納められているものの、巻物の端から赤、黄、紫、緑などの色彩が今にも溢れ出ようとしている。



棚に積まれた金襴の見本は、まさに色彩の洪水。代々が苦労して生み出してきた一本一本が、「誉田屋勘兵衛」の歴史を物語る。 棚に積まれた金襴の見本は、まさに色彩の洪水。代々が苦労して生み出してきた一本一本が、「誉田屋勘兵衛」の歴史を物語る。

棚に積まれた金襴は、まさに色彩の洪水。代々が苦労して生み出してきた一本一本が、「誉勘商店」の歴史を物語る。



その年の傾向に合わせ、毎年考案される新しい色柄

 

「この棚だけで1000本くらいはあるかもしれません。代々が作り続け、そして私たちも毎年百以上の新しい柄や意匠を考案しています。その年によって、流行の色や柄がありますから、先祖が考案してくれた色柄だけに頼っていてはいけないのです」

 

そう語りながら、当代夫人の松井雅美さんが、何枚かの金襴を取り出してくれた。ルーペで生地を拡大して見る。さまざまな色糸が緻密に織り込まれ、その重なり具合によって色合いは微妙に変化し、そこに光を受けた金糸の煌めきが踊り込んでくる。

 

何色もの先染めの色糸と金糸が重なり、えも言われぬ美しい表情が生み出される。 何色もの先染めの色糸と金糸が重なり、えも言われぬ美しい表情が生み出される。

何色もの先染めの色糸と金糸が重なり、美しい表情が生み出された金襴。



来年用の雛人形のための生地見本が並べられた展示会の様子 来年用の雛人形のための生地見本が並べられた展示会の様子

来年用の雛人形のための生地見本が並べられた展示会の様子。毎年2月半ばに行われる。

 


「お雛様の場合、お衣装が小さいので、より緻密に織られた金襴でないと、煌めきや輝きが半減してしまいます。うちの金襴をうまく着せていただいた雛人形を見ると、とても嬉しくなります」

 

「誉勘商店」の金襴は、雛人形の衣装をはじめ、能装束、法衣などにも幅広く使われているが、近年ではこうした従来の用途に加え、スカーフや和装バッグなど、さまざまなグッズの開発を、当代夫妻自ら手掛けている。脈々と続く家業を大切に守る一方で、新しいことにも挑戦していく。京都の伝統工芸は、こうした努力によって支えられ、発展していく。



万年筆用ペンケース。 万年筆用ペンケース。

従来の用途だけでなく、「まゆん」ブランドで貝ノ口やスカーフなど、伝統にとらわれない商品も手掛ける。写真はペンケース作家 yurieとコラボした万年筆用ペンケース。

 

誉勘商店(こんかんしょうてん)

京都府京都市中京区室町通二条上ル冷泉町53
来店時は要予約



京甲冑 工房 武久
休みなく動き続ける、81歳の甲冑師の両手

 

雛の節句の頃、京甲冑を手掛ける「甲冑師」の工房では、2カ月後に控えた端午の節句用の鎧兜の製作が山場を迎えている。そうした工房のひとつが「京甲冑 工房武久」。ともに伝統工芸士の称号を持つ佐治健夫さん、幹生さん父子に、最近では孫も加わり、三代が鎧兜の製作に携わっている。



黙々と作業を続ける佐治健夫さん。「工房武久」の名前は、健夫さんの父で初代甲冑師の佐治武久氏の名前に由来する。 黙々と作業を続ける佐治健夫さん。「工房武久」の名前は、健夫さんの父で初代甲冑師の佐治武久氏の名前に由来する。

黙々と作業を続ける佐治健夫さん。「工房武久」の名前は、健夫さんの父で初代甲冑師の佐治久三郎氏の名前に由来する。



初代甲冑師であった父から一子相伝で技法を受け継いだ健夫さんは、現在81歳。工房では「錣(しころ)」と呼ばれる、後頭部から首筋部分の覆いを、鉄製の兜本体に着ける作業が行われていた。

 

「もう年なので手は思うように動きません」と謙遜するが、左右の手が淀みなく動き、色鮮やかな「錣」が取り付けられていく。工具を巧みに操り、寸分の隙なく「錣」が本体に付いたとき、華麗な兜に仕上がった。



組紐で艶やかに彩られた「錣」を「鉢」に取り付ける。「鉢」に付けられた金の鋲もひとつずつ手作業で打ち込まれている。 組紐で艶やかに彩られた「錣」を「鉢」に取り付ける。「鉢」に付けられた金の鋲もひとつずつ手作業で打ち込まれている。

組紐で艶やかに彩られた「錣」を「鉢」に取り付ける。「鉢」に付けられた金の鋲もひとつずつ手作業で打ち込まれている。



数百個ものパーツを組み立ててようやく完成する、ひとつの兜

 

ひとつの兜は、金具や鋲などまで数えると、数百個ものパーツを組み合わせてようやく完成形となる。雛人形同様、個々のパーツは、それぞれ専門の工房で作られ、「工房武久」の元に集まり組み立てられていく。また「工房武久」でも金具に鑢(やすり)をかけるなど、細かな作業が日々行われる。

 

「以前は部品を作ってくれる工房が二十数か所ほどありましたが、現在では十個所ほどになってしまいました。金具の彫師、組紐の染師など、大勢の職人さんの技術の結晶が兜となっているのです」

「房師」と呼ばれる専門の職人から届けられた組紐が束ねられていた。こうした色鮮やかな組紐が兜に彩を増す。 「房師」と呼ばれる専門の職人から届けられた組紐が束ねられていた。こうした色鮮やかな組紐が兜に彩を増す。

「房師」と呼ばれる専門の職人から届けられた紐と房の束。こうした色鮮やかな組紐が兜に彩を増す。



左右二本の組紐が、正面で美しく束ねられる。ひとつの兜のほぼ最終段階での作業。健夫さんの手にかかれば、この作業もあっという間。 左右二本の組紐が、正面で美しく束ねられる。ひとつの兜のほぼ最終段階での作業。健夫さんの手にかかれば、この作業もあっという間。

左右二本の組紐が、正面で美しく束ねられる。ひとつの兜のほぼ最終段階での作業。健夫さんの手にかかれば、この作業もあっという間。

京甲冑 工房武久

京都市上京区六軒町通り一条上がる若松町358



「京都の伝統工芸を支えるのは、小さな工房の職人の技」。人形師と甲冑師。京人形を最終段階で手掛ける二人から、期せずして同じ言葉が聞かれた。煌びやかな雛人形と雄壮華麗な甲冑。美しいこうした京都の伝統工芸品は、数多くの職人の技の集積といえよう。

 

京都の路地奥の小さな工房。そこでは、地道な手仕事が今日もまた、休むことなく連綿と続けられている。



Text by Masao Sakurai (Office Clover)
Photography by Makoto Itoh

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