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福岡へ愛を込めて 福山剛シェフの軌跡(前編)

2022.11.15

福岡からはじまる ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ 福山剛シェフ 飛躍への幕間に


午後6時。福岡・西中洲のとあるレストランのエントランスに灯りがともった。今日も多くのゲストがここに集い、慌ただしい夜がはじまるのだろう。そのレストランとは、福山剛シェフ 率いる「ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ」。オープンから20周年目を迎える10月17日当日に店を閉めると聞き、福岡へ飛んだ。福山シェフが西中洲の店で刻んだ20年とこれからのはざま、その幕間のような時間に彼の言葉に耳を傾けるために。

 

 

 

 



西中洲の一角に灯りがともる
ゲストを迎える残り少ない夜に

 

20周年を迎える当日の10月17日を前に、常連客が名残を惜しみ、そして福山のこれからを祝しに、連日足を運んでくれている。その数日前「ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ」のテーブルに着くことができた。20周年を祝して、シグネチャーの料理が次々と運ばれてくる。今日も満席。20年間通ってくれたゲストの要望に応えるため、なんとか2回転して店を切り盛りする。これが夏以降続いているのだ。

 

「ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ」は、福岡の繁華街・西中洲にある。中州は福岡を、九州を代表する繁華街、夜の街。しかし西中洲は少し景色がちがう。あたりを歩くとそこには、割烹やレストラン、バーなどが多く、思わず足を止めて中を伺いたくなるような、スタイリッシュな構えの店ばかりだ。

 

「昔から料亭やレストランが多く、西中洲で食事をしてから中州へ遊びに行く、そんな感じのエリアと言えばわかりやすいでしょうか。最近では以前よりおしゃれな飲食店が増えましたね」と福山が説明してくれた。

 

西中洲の路地の、また少し奥まったところにある「ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ」。もし見つけたのなら、誰にも教えたくない秘密基地のようなレストランに、この20年間変わらず福山の大らかな笑顔と料理があった。毎日満席になる理由もわかる気がする。





ゴウの店内 ゴウの店内

肩ひじ張らないリラックスしたムードの店内。

食の世界に飛び込んだあの日
福岡が育ててくれたという思い

 

福山がここ西中洲に自分の店を開くまでの道のりを振り返ってみよう。子どものころから料理に興味があり、そのまま自然と料理人への道を目指す。高校3年生になる直前からフランス料理店で研修をはじめ、卒業後はそのままシェフとしての一歩を踏み出した。最初に勤めたのはフレンチレストラン「イルドフランス」という高級店で、しっかりとフランス料理を学んだ。そして25歳のとき、ワインバー「マーキュリーカフェ」のシェフに。ここでの経験が福山の料理にとって重要なものとなった。

 

「ワインバーですから純粋にワインと料理を楽しむお客さんもいれば、お店に来るころにはすでにできあがっているお客さんも来るわけです。酔っているお客さんにメニューにないものを作ってと言われることもざら。なかにはちゃんぽんをリクエストされたこともありました。おかげでとても鍛えられました」。

 

でもそれでわかったことがある。「オープンキッチンだったのでお客さんと距離が近く、本当に料理を楽しんでくれているのかどうか、よく観察できるんです。無茶なリクエストに悪戦苦闘することもあったけれど、長くお店を続けていくには、シンプルで食べ疲れないもの、そして日本人が食べやすいものが必要なんだということがわかりました」。

 

2002年10月17日、西中洲に「ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ」をオープン。小さな厨房にカウンターとテーブル席、そして福山シェフの料理と明るいもてなしは居心地がよく、当初から人気であった。



福山剛 福山剛

カウンター席は、福山シェフの一挙手一投足を見ることができる特等席。



ぶどうをモチーフにしたジュエリーのように美しい皿は、客の目の前で仕上げられることによって楽しいプレゼンテーション効果も。 ぶどうをモチーフにしたジュエリーのように美しい皿は、客の目の前で仕上げられることによって楽しいプレゼンテーション効果も。

薄切りにしたピオーネをあしらった美しいひと皿。ゲストの前で仕上げる楽しいプレゼンテーション。



アジアが見つけた福山剛という存在
福岡だから表現できる味わい

 

福山がアジアで注目されはじめたのはオープンして10年が経つころのこと。「福岡を訪れる外国人の多くはアジアの方々。どこで調べてくるのか、うちにもよく来てくれるようになっていました」。福岡を訪れる中国、台湾、香港などのアジアのインバウンド客にはよく知られたレストランへと成長していった。

 

その成果がかたちとなって表れたのが2016年のこと。「アジアのベストレストラン50」の31位に初登場したのだ。このとき「ゴウ」がどんな店なのか、ゴウは誰なのか、多くのフードジャーナリストや関係者からもノーマークだった。福山自身も想像もしていない事態。しかしその後、2018年、2019年、2020年、2021年、2022年と連続でベスト50入りを果たしている。

 

「世界のベストレストラン50」の日本の評議員長である、ジャーナリストの中村孝則氏に聞いたことがある。ミシュランガイドとの大きな違いはvoter(投票者)の存在であり、世界のダイニングシーンを食べ歩くジャーナリスト、フーディなどが投票で決定していくのだが、その評価基準は料理だけにとどまらず、店のコンセプトやホスピタリティなどまでにおよぶのだと。

 

「ゴウ」の料理のなにが、アジアのフーディーたちに支持されたのか、福山はどのように分析しているのか聞いてみた。「九州・福岡の味には、アジア圏共通の味が内包されているように思います。たとえば、九州のしょうゆは甘いでしょう? アジアの料理にも甘みがあるものが多い。僕の料理の中に、アジアに共通する味わいを見つけ、好んでくれているんだと思います」。

 

たしかに日本はアジアの一員であるわけだが、地政学上、福岡はよりアジアの諸国に近い。福山のフレンチの中に流れる福岡の、アジアに共通する味わいを見つけ、それを熱烈に支持し「アジアのベストレストラン50」に押し上げてくれたのだ。

 

そしていつも福山が大切にしていること。「お客さんがよろこんでくれるもの、食べ飽きない、食べ疲れない料理」であることだ。

 

「僕はフランスへ修行に行ったこともない。海外の有名店で働いたこともありません。40歳ころまではそれがコンプレックスだったんです。でも、歳を重ねるにつれ、そんなことはもう考えなくなりました。お客さんがよろこんでくれるもの、食べ疲れないものをつくっていけばいいんだ、という境地にたどり着きました」。

 

福山の屈託なき明るいキャラクターも相まって、福岡に行ったらまた「ゴウ」に行きたい、剛さんに会いたいと思わせるのも毎年ランクインさせる、人をひきつける魅力なのだろう。



キッチン キッチン

20年前、この小さなキッチンからはじまった。スタッフと談笑しながら閉店まではノンストップで切り盛りする。



2022年10月17日。20周年を記念したその日、「ラ メゾン ドゥ ラ ナチュール ゴウ」は幕を閉じた。西中洲の、この小さな隠れ家風のレストランではじまった福山のものがたりは幕を閉じるが、実はもう次章ははじまっている。キャナルシティ博多のほど近くにできる複合施設「010 BUILDING」(ゼロイチゼロ ビルディング)で、新しいチャレンジが待っているのだ。そのチャレンジとはなにか、福山が次章で刻む新たなものがたりについては、後編へ譲る。

 

 

Photography by Koji Nakayama

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