Experiences

Spotlight

受け継がれる匠の技を世界へsakai kitchenの挑戦(前編)

2022.3.10

大阪・堺市の伝統産業「堺打刃物」その磨き抜かれた技を訪ねて



大阪府堺市に息づく、さまざまな伝統の技がある。これまでは知る人ぞ知るものであったのは、OEMやB to Bなど、消費者には見えにくいものだったからだ。堺市の伝統産業のブランド力向上を目指し、もっと多くの人に知ってもらい、使ってもらうための取組として立ち上げられたのが「sakai kitchen(堺キッチン)」というプロジェクトだ。今回はそのプロジェクトのひとつ、世界中の一流シェフ羨望の堺打刃物を紹介する。



世界に名だたる品質を守り抜く
繊細にしてダイナミックな「鍛冶」

 

日本五大刃物産地の生産地として知られる大阪府堺市。

 

その起源は5世紀にまで遡り、日本最大規模の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳造営のための道具からだといわれている。鋤や鍬などの職人がそのまま堺に住み着き、刀鍛冶として、ポルトガルから伝来した鉄砲やタバコ葉を刻む刃の職人として、自転車の部品として……時代に合った用途を経ながら堺の鍛冶・刃物は広まり続けた。国内では一流シェフの多くが愛用し、昨今では海外のシェフからの評価も高い。

 

堺の包丁は伝統的に地金(軟鉄)と刃金(鋼)の2枚をあわせて鍛える、片刃の「打刃物」。プレスし、型を抜く方法よりも格段に手間と技術を要するが、そのぶん強く粘る欠けにくい刃ができるため、切れ味がよく長持ちする。

 

「堺打刃物」の生産は伝統的に分業制だ。鍛造する「鍛冶」、刃を研ぐ「刃付け」、柄を付ける「問屋」の3つを順に巡り、1本の包丁が出来上がる。

 

鍛冶屋は堺でも10数軒しか残っていない。そのうちの1軒が1896年に創業し、田中義一・義久が親子で営む「田中打刃物製作所」だ。実をいうと“TANAKA”の名前は世界の一流料理人の間では知られている。販売店の屋号をブランドと認識する日本人とは異なり、海外では包丁に「鍛冶屋の銘を入れて欲しい」と注文する人が増えてきている。製品に作者の名を刻むことは、職人への敬意と信頼の表れなのだろう。



田中打刃物製作所 田中打刃物製作所

田中打刃物製作所。足の踏み場もないほど鉄に覆われた工房に、赤々と燃える炉、響き渡るハンマーの音



「堺打刃物」の鍛造は、まず地金に鋼をのせて炉に入れて叩き、また鋼をのせて炉へ入れて叩く。形を整えたら再び加熱、叩いて成形し、冷めたら表面の酸化膜をはがすためにまた叩く。グラインダーで研磨して、叩く、叩く。

 

段々と形を変えながらひたすら炉とハンマーを繰り返すことにより、強い刃ができる。叩いて叩いて組織を細かくする。硬度だけではなく“粘り”が出た強さこそが堺打刃物の特徴だ。

 



地金 地金

地金にカットした鋼をのせて、1000℃以上の炉へ。高温すぎて計れないため、炎の色で適温を判断する



ベルトハンマー ベルトハンマー

かつては2人がかりで叩いたが、戦後は足でペダルを操作するベルトハンマーにより1人での作業が可能になった。高い場所に置ける重量ではないため、穴を掘って人間が低い位置に収まる



地金と刃金がなじんだ、成形前の状態。まだアウトラインが歪で表面もデコボコしている 地金と刃金がなじんだ、成形前の状態。まだアウトラインが歪で表面もデコボコしている

地金と刃金がなじんだ、成形前の状態。まだアウトラインが歪で表面もデコボコしている


グラインダー グラインダー

成形したものをグラインダーで削り、表面を均す。包丁は炉とハンマーを何度も往復しながら鍛えられてゆく



親子は曜日ごとに担当を替わるが、義久曰く「炉に触らせてもらえるまで5年ほどかかりました」。歪みなどの細かい修正が終わったら、高温加熱・急冷の「焼き入れ」、低温加熱の「焼き戻し」を行って、微調整をして完成となる。実はこの「焼き入れ」「焼き戻し」こそが刃の硬度を決める、重要にして高度な工程だ。

 

「ここが親父の見せ場です。僕もたまにはやりますが、基本的にまだ任せてはもらえません。それほど難しく、責任がある工程なんです」と義久。世界に名を馳せる“田中”の芯には、商品への確たるこだわりがしっかりと根を張っている。



伝統工芸士の田中義一 伝統工芸士の田中義一

伝統工芸士の田中義一(中)。2021年に5代目を継いだばかりの息子・義久(左)、7年目になる弟子(右)と3人で、手造りによる少量・多品種の生産を得意とする。



わずかな歪みも見逃さない「刃付け」が
切れ味と美しさを決める

 

鍛冶屋からできあがった「無刃」は、次の工程の「刃付け」へと進む。「馬場刃物製作所」は分業の最後である柄付けを受け持つ「問屋」として、1916年に創業した。近年になって分業の2番目である「刃付け」職人の高齢化が危機的状況に陥ったことを受け、2017年より1社・2工程の体制を開始した。

 

「堺の分業を成り立たせるためには、鍛冶屋10軒に対して刃付け20~30軒が適正。掛け持ちは本来タブーだと思いますが、思い切って足りていない刃付けを新設しました」と次期代表の馬場崇史は経緯を語る。

 

崇史さんと職人候補だった西田奨さんが中心となって立ち上げたのは「刃付け」工房と、新たな包丁ブランド「景清」だった。海外を含めた催事にも出店し「景清」が評価されてきて、そろそろ増員をと募集をかけたのが2021年。ドイツ人のフランク=マクシミリアンさんが応募してきたことで、堺打刃物は名実ともにグローバルな産業へと進化しつつある。



「景清」代表であり柄付け職人でもある馬場崇史 「景清」代表であり柄付け職人でもある馬場崇史

刃付け職人の西田奨(左)、「景清」代表であり柄付け職人でもある馬場崇史(中)、2019年にドイツから来日したフランク=マクシミリアン(右)



「刃付け」の工程は、「研ぎ」と「歪み取り」の繰り返しだ。目が粗い砥石から始め、形を整えながら段々と目の細かい砥石で表面を均してゆく。回転砥石は摩擦熱を軽減するためにまず溝を入れて、研ぎながら水をかける。大きな砥石が半年から1年で交換になるほど、研ぐ作業は激しい。


高速で回転する砥石と刃の摩擦熱を取るため、水をかけながら研ぐ。 高速で回転する砥石と刃の摩擦熱を取るため、水をかけながら研ぐ。

高速で回転する砥石と刃の摩擦熱を取るため、水をかけながら研ぐ。


ねじれがなくなるまで丁寧に研ぎ、叩く。手技だけでなく、違和感を見極める目を養うことが重要だ ねじれがなくなるまで丁寧に研ぎ、叩く。手技だけでなく、違和感を見極める目を養うことが重要だ

歪み・ねじれがなくなるまで丁寧に研ぎ、叩く。手技だけでなく、違和感を見極める目を養うことが重要だ

 

 


刃の裏面はごくわずかな弧を持つ。型にのせてカーブに沿うよう叩く「ひずみとり」は熟練の感覚を要する作業。

 

 


蛍光灯では刃紋の微妙な色合いや形が見えないので、この作業のみ電球の灯の元で行う 蛍光灯では刃紋の微妙な色合いや形が見えないので、この作業のみ電球の灯の元で行う

蛍光灯では刃紋の微妙な色合いや形が見えないので、この作業のみ電球の灯の元で行う

 


一方で「歪み取り」は、視認できないほどわずかな歪み、ねじれを見逃さないよう、何度も見て触って調整するのが肝。刃を水平に持ち、少しずつ傾けると左右どちらかの端が先に頭を出す。そちらが高い、すなわち真っすぐではないという証だ。微調整を繰り返し、端から端まで一直線に頭が出るように整えてゆく。

 

最後に地金と刃金の境目「しのぎ」を削り、「かすみ」と呼ばれる刃紋を出す。「見た目をよくする化粧のようなもの」と馬場さんが言うように、機能的な意味はないが、刃紋は打刃物の美しさにとって欠かせない重要なポイントだ。


日本が誇る銘品を知るべきはまず日本人

 

「堺打刃物」の最後は柄を付ける工程。温めた包丁を柄に差し込み、柄尻を叩くと刃物がどんどん入ってゆく。ここでもねじれを確認しながら、まっすぐに、しっかり入れ込めば完成だ。

包丁 包丁

柄尻を叩いて柄を付け、点検する。後ろに並ぶ箱にはありとあらゆる包丁が収められている



「馬場刃物製作所」には堺じゅうの多種多様な包丁が集まっている。「堺打刃物は大阪の食文化とともに育った産業です」と馬場。

 

「フグを食べるから『ふぐ引き』ができて、ハモを食べるから『鱧切』ができた。年に1、2回しか作らないような季節食材専用の包丁を注文しても、田中さんならすぐにわかって作ってくれます」。

 

この蓄積こそが堺の財産であり、日本の食文化の礎でもあるのだ。


独創的で枠にとらわれず、変化し続けるフリースタイルのフレンチが魅力。アジアのみならず、世界から注目を集める。「ミシュランガイド京都・大阪+和歌山2022」で二つ星を維持。名実ともに大阪が誇るスターシェフである。


堺打刃物を一番理解しているのは料理人だろう。ミシュラン二つ星、アジアベストレストランでは8位に入賞するフレンチレストラン「ラシーム」の高田裕介シェフもそのひとりだ。sakai kitchenにはアドバイザーとして参加している。

 

 

「プロジェクトの冒頭に、堺キッチンの刃物の製造工場を訪ねたのですが、職人の皆さんのモノづくりに対する姿勢には大変共感するものがありました。道具は一生付き合えるものを作る、という姿勢を感じましたし、若い世代や外国の人がその技術を継承し、更にいいものを作っていくことが大切。食事は食べたら一瞬で消えてしまいますが、同じ職人としては記憶に残るような料理を作っていきたいですね」。

 

 



堺刃物 堺刃物

かつては片刃専門の堺だったが、ここ10年ほどで両刃の包丁も増えてきた。馬場が世界を相手に堺打刃物を売り始めて10年。「市場が育った手応えは感じる」と馬場は自信を見せる。

 

堺の鍛冶は通常1人でやる仕事だが、田中義一は職人を増やしたいと考えて7年前に弟子を取った。このまま衰退すると「産地として弱くなる」ことを危惧したためだ。

 

息子の義久は「若い人もぜひ一度本物の鋼の包丁を使ってみて欲しい」と語る。時代とともに進み続けてきた堺打刃物は、今もまだ進化の途上だ。世界で絶賛される銘品を、sakai kitchenを通じて知ってほしい。

 

 

(敬称略)

Text by Aki Fujita
Photography by Noriko Kawase

最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。

ページの先頭へ

最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。