Experiences

Spotlight

醸し人九平次からドメーヌ・クヘイジへの軌跡(前編)

2020.11.2

コメ作りに挑戦し、イノベーティブな日本酒造りを目指す醸造家 久野九平治の道のり

萬乗醸造十五代目 久野九平治
「醸し人九平次」からの出発

1647年、三代将軍家光の時代に創業した名古屋の造り酒屋、萬乗醸造。「醸し人九平次」のブランドで知られるこの酒蔵の十五代目当主・久野九平治は、2010年から兵庫県の黒田庄で、酒米の山田錦を栽培している。コメ作りは農家、酒蔵の仕事は酒造りと、分業が当たり前のこの世界では珍しい。

1647年創業の歴史を物語る萬乗醸造の構え。 1647年創業の歴史を物語る萬乗醸造の構え。

1647年創業の歴史を物語る萬乗醸造の構え。

十五代目久野九平治。 十五代目久野九平治。

十五代目久野九平治。日本酒、そしてワイン造りにも挑む。


久野がコメ作りを始めたのはなぜか? それを語るには、時計の針を15年ほど巻き戻さなければならない。

 

日本人が日本酒を飲まなくなって久しい。日本酒の国内出荷量は1973年の170万キロリットルをピークに減少へと転じ、2003年に87万1000キロリットル、2008年には65万9000キロリットルまで激減。現在は50万キロリットル前後で推移している。その一方、海外では和食ブームが巻き起こり、それに伴い日本酒への関心は高まるばかり。そこで久野は海外進出を決心した。


日本酒をたずさえ、海外へ
気づかされた日本酒のポテンシャル

まずターゲットに定めたのは、海外における日本酒の最大市場、アメリカだった。しかし、久野はアメリカでの取り引きを早々に切り上げた。「食文化の違いを感じた」と言う。

 

「ソムリエにうちの酒を試飲してもらいました。すると彼は、『ちょっと待ってて』と言って、バックヤードに引き込んでしまった。5分ほどして彼が戻って来ると、驚いたことにうちの酒がカクテルになって出てきたんです」。

 

次に向かったのはヨーロッパ。美食の都、フランスのパリだった。どうせなら三ツ星から制覇しようと、2006年にふつうの客を装い「タイユヴァン」を訪ねた。まだ前オーナーのジャン・クロード・ヴリナ氏が健在で、星を落とす前年のことである。

 

食事が終わる間際、久野は自分の造った酒を取り出し、テーブルを挨拶して回るヴリナ氏に言った。「この酒を試していただけませんか?」

 

ヴリナ氏は当代きってのワイン専門家としても知られる人物である。彼は久野の酒をひと口味わうと、アメリカのソムリエと同じようにバックヤードへと下がっていった。久野の脳裏に不安がよぎる。しかし、しばらくして戻って来た彼が手にしていたのはオマールエビの料理。ヴリナ氏はそれを別のテーブルの常連客に出し、中身がわからないよう黒いグラスに注がれた久野の酒と一緒に試すよう勧める。そのテーブルから「Formidable(素晴らしい)!」という声が聞こえた。

 

ヴリナ氏は久野にこう言ったという。「ワインだと香りが邪魔をして合わない料理があります。しかしあなたが造ったこの酒は料理の邪魔をしない。とくに海のものとはワインよりも合う気がする」。その晩、久野は天にも登る気持ちで、シャンゼリゼ大通りをスキップしながらホテルへと戻った。

 

 

ピエール・ガニェール、ギィ・サヴォワ、ポール・ボキューズ……。同じように飛び込みで試飲をしてもらうと、フランスの料理人やソムリエは誰もが好意的な感想を返し、取り引きも始まった。それが単なるリップサービスでないことは、彼らの真剣な眼差しと的確なコメントから明らかだという。しかし、フランスでの営業が活発になるに連れ、久野の中でひとつの葛藤が生まれた。それはコメに関する彼らの質問だった。


久野をコメ作りへと駆り立てた
理由とは

 

「コメはどういう種類?」「田んぼはどういうところにあるの?」「栽培は無農薬?」

 

ワインの世界では、ブドウに関する質問は当たり前だ。何しろブドウの質がワインの出来の8割を決めてしまうのだから。したがってソムリエにワインを飲ませれば、どう造ったのかと聞く前に、ブドウそのものについての質問をする。彼らに日本酒を試飲させれば、まずコメについて問いを投げかけるのは自然の流れである。久野はコメ農家から聞いた話を彼らに伝えた。しかし……。

 

「だんだん後ろめたくなってきました」。

 

コメ農家から聞いた情報を提供するだけでは「リアルさに欠ける」と久野は考えた。「自分の手で”リアルに”コメ作りをしない限り、彼らとの溝は埋められないのではないか」。そうした葛藤の中、会社のスタッフがある日こう言った。「社長、コメを作ってみましょうよ」。

 

このひと言に後押しされ、久野は稲作に着手する。今から10年前、2010年のことだった。

 

場所は兵庫県の黒田庄。日照時間、降水量、寒暖差などから、酒造好適米の最高峰である山田錦の生育に最適とされている土地である。



萬乗醸造の若いスタッフたち。自分たちの手で稲作にはげみ、収穫したコメで酒を仕込む。


田んぼ取得のために農業法人を作り、当初は借地契約で稲作を始めた。最低でも半年、農作業をまじめに続けなければ、その土地で「農家」とは認められない。毎朝早くから農作業に勤しむ若いスタッフたちの姿を見て、土地の人々も次第に認めてくれるようになった。現在は15ヘクタールの田んぼを自社で管理。そのうち5ヘクタールが自社所有で、10ヘクタールが借地という。

 

ワインの世界でヴィンテージが話題になるように、「コメ作りにも毎年ドラマがある」と久野は語る。とくに久野らがコメ作りを始めた2010年以降、気候変動は顕著になり、記録的猛暑や大雨、巨大台風が日本列島を襲う。こうした気候がコメの性質に影響を与えないわけがない。

 

「年によってこんなにも違うのかと驚きました。とくにコメの硬さが年ごとにまるっきり違うんです」。

 

2011年に自社田の日本酒「黒田庄に生まれて」を初醸造。そして2018年、黒田庄に初めて所有した田んぼ「町田高」の山田錦のみを用いて「久野九平次本店 黒田庄町田高」が誕生した。ワイン風にいうならば、シングルヴィンヤードならぬシングルタンボの酒である。

 

2018年は花が満開の時期に台風が関西を襲い、その影響で受粉がうまくいかずに20パーセントの収穫減。そしてその後、気温が下がった。気温が下がるとコメの質が柔らかくなるという。柔らかいコメは熟度が高く、ボリュームの大きな酒を生む。

「久野九平次本店 黒田庄町田高 2018」は、熟した白や黄色の果実にハーブの香りが感じられたあと、スパイスのニュアンスが現れる。2018年は収穫量が減った分、コメ一粒一粒にエネルギーが凝縮された年となった。 「久野九平次本店 黒田庄町田高 2018」は、熟した白や黄色の果実にハーブの香りが感じられたあと、スパイスのニュアンスが現れる。2018年は収穫量が減った分、コメ一粒一粒にエネルギーが凝縮された年となった。

「久野九平次本店 黒田庄町田高 2018」は、熟した白や黄色の果実にハーブの香りが感じられたあと、スパイスのニュアンスが現れる。2018年は収穫量が減った分、コメ一粒一粒にエネルギーが凝縮された年となった。


グラスに注いで香りを嗅ぐと、なるほど決して派手ではないが、熟れた洋梨や白桃のアロマが気持ちよく広がり、口中では唾液をもよおす旨味と、それにきれいな酸味が感じられる。この酸味は久野が酒造りで譲れない部分だ。なぜなら料理と合わせる食中酒には、酸こそが生命線。海外のシェフやソムリエに支持される理由もそこにある。

 

今年3月、黒田庄に日本酒を醸造する蔵が完成し、現在、二期工事の最中。今後、黒田庄で自社管理する田んぼのコメはこの蔵で醸造し、ワインでいうドメーヌ化を目指す。一方、名古屋では購入したコメを元に酒を醸造。こちらはメゾン(ネゴシアン)というわけだ。

久野の招きで黒田庄を訪れた著名なシェフやソムリエは多い。写真は、当時「ル・ムーリス」のシェフであったヤニック・アレノ氏。 久野の招きで黒田庄を訪れた著名なシェフやソムリエは多い。写真は、当時「ル・ムーリス」のシェフであったヤニック・アレノ氏。

久野の招きで黒田庄を訪れた著名なシェフやソムリエは多い。写真は、当時「ル・ムーリス」のシェフであったヤニック・アレノ氏。

「ディスカバー(発見)の語源は、『カバーを剥ぐ』ということだそうです。これまで日本酒は歴史が長い分、カバーが厚く、新たな挑戦が難しかった。ようやく一枚、カバーを引き剥がせたかなと思います」。

 

日本酒のディスカバーに続き、久野はワインの世界にも踏み込む。その話は次回に。

 

(敬称略)

 

 

 

久野九平治 Kuheiji Kuno

萬乗醸造 代表取締役 醸造家

1965年、名古屋市生まれ。萬乗醸造の十五代目。大学中退後、演劇活動を続けるが、父親の病気等をきっかけに家業を継ぐ。先代の機械的大量生産・下請けの仕事のスタイルから、少量生産、手造り農家的な仕事へと回帰。新銘柄『醸し人九平次』を立ち上げ、97年にリリース。積極的に海外進出を試みる。2010年からはコメ作り、2016年からはフランス・ブルゴーニュにてワイン醸造をスタートさせた。

 

 

Text by Tadayuki Yanagi

最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。

ページの先頭へ

最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。