杉本博司杉本博司

Style

Portraits

杉本博司 茶室と巡る旅(後編)

2020.10.19

平安人の遺した夢の形から杉本博司が描く「瑠璃の浄土」へ

10月4日まで活況を見せた、京都市京セラ美術館「杉本博司 瑠璃の浄土」。仏教と深く結びついた都市・京都から、多義的なアプローチで表現する「瑠璃の浄土」とは。今ここに、杉本博司へのインタビューから振り返ってみたい。

 

浄土とはこんなところかと平安びとたちは思い描いた
杉本も展覧会で示してみた

 

現在の京都市京セラ美術館の本館は1933年、昭和天皇の即位を記念して建てられた帝冠様式の建物で、「大礼記念京都美術館」として開館した。戦後、駐留軍が本館はじめ敷地全体を接収した時期もあったが、1952年に接収解除となり、「京都市美術館」と名を改められた。このたびの再整備では本館の大規模な改装、現代美術を展示する新展示棟「東山キューブ」を新設し、2020年5月にリニューアルオープンとなった。建築家、青木淳と西澤徹夫の共同設計による。

 

京都市京セラ美術館 撮影:来田猛 京都市京セラ美術館 撮影:来田猛

京都市京セラ美術館
撮影:来田猛

東山キューブでの第一回目の展覧会として、京都市京セラ美術館開館記念展「杉本博司 瑠璃の浄土」が開催されている。杉本博司といえば、1970年代より、大判カメラを使い、つきつめたコンセプトと高度な技術による写真作品で国際的な評価を得てきた。2000年以降は建築や立体作品、舞台演出、著述活動、作庭など多岐にわたる活動で一層注目が高まっている。一方、古美術品や歴史資料の収集、研究は長きにわたるテーマである。

 

1948年、東京生まれで、1970年以降、アメリカを拠点に活動していた杉本だが、一時期、ニューヨークのソーホーで古美術商を営んでいた時期もあり、京都を訪れることも多く、少なからぬ影響を受けてきた。また、京都で撮影、制作された作品もある。

 

これまで国内外の有名美術館で何度も展覧会を開催してきた杉本だが、京都の公立美術館での大規模個展は初めてである。欧米各地での展覧会の多い杉本ではあるが、京都の、岡崎、しかも美術館自体に歴史のあるここでということで、感慨や展覧会設計の思惑には特別なものがあったようだ。

 

「この展覧会のオファーを受けた時、一つの瓦の断片のことを思いました。何年も前に手に入れた法勝寺のものです」

 

そう言って、杉本は平安時代の巴瓦(軒丸瓦)の断片を示してくれた。


《法勝寺 瓦》平安時代 撮影:小野祐次 《法勝寺 瓦》平安時代 撮影:小野祐次

《法勝寺 瓦》平安時代
撮影:小野祐次

平安という時代に思いを馳せる
架空の寺院をつくるというアイディアとは

 

「現在の京都市京セラ美術館や近隣の京都市動物園、岡崎公園周辺にはかつて、白河上皇の御願によって建てられた法勝寺を筆頭として、尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺と『勝』の名を含む巨大な寺が次々に建立されました。それらは、院政期の大規模事業であり、総称して、六勝寺と呼ばれることもあります」

 

時代名は「平安」とはいうものの、疫病や戦乱の続いた「不安」な時代。杉本の脳裏に浮かんだのは白河上皇(1053年 – 1129年)と法勝寺である。しかもその法勝寺には高さ81メートル、八角九重の塔があったのだという。現存する東寺の五重塔が高さ55メートルと聞けば、その1.5倍の高さの塔があったということはにわかには信じがたいのだが、さぞや壮観だっただろうし、上皇の権力が誇示されたことだろう。

 

「その岡崎の地の一角に建つ美術館での展覧会を構想することになったとき、その展示室の中に架空の寺院を造営するという着想が浮かびました。それをもとに空間を振り分け、動線を描き、作品と、これまでに収集してきた古美術品をあるテーマにしたがって展示することにしたのです」

《薬師如来懸仏》平安時代 木製彩色 撮影:小野祐次 《薬師如来懸仏》平安時代 木製彩色 撮影:小野祐次

《薬師如来懸仏》平安時代 木製彩色
撮影:小野祐次

会場に入ると、直径20cmほどの平安時代につくられた小さな懸仏(かけぼとけ)が展示されている。ふくよかなお顔、手には薬壺を持つ薬師如来像である。歩を進めるとやがて長い廊下に出る。つきあたりには、透明な光学ガラスを砕き、板ガラスで作った箱に詰め、背後に光源を配した作品《瑠璃の箱(無色)》が設置されている。砕かれたガラスはこれまで杉本が作ってきたガラス作品の制作途中で出た破片、端材だそうだ。

 

「《瑠璃の箱》に至る長い廊下には《光学硝子五輪塔》を13基、均等の感覚で配置しました。五輪塔は仏教がいうところの、宇宙を形作る5つの要素、「地・水・火・風・空」をそれぞれの形に託して表現し、垂直に重ね合わせたものです。それを光学ガラスを素材にして設計したのですが、「水」を表す部分は「海景」になっています。その海は一つ一つすべて異なるものです。これまでに撮りためた世界各地の海がここに集められているのです」

 

これは仏教の教えにあるように、あまねく世界を見渡すという観世音菩薩信仰を暗喩しているともとれる。

 

《光学硝子五輪塔 》2011/ 1980© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Odawara Art Foundation 《光学硝子五輪塔 》2011/ 1980© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Odawara Art Foundation

「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景
2011/ 1980 © Hiroshi Sugimoto

 

 

《光学硝子五輪塔》 2011/ 1980 杉本博司 小田原文化財団蔵 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Odawara Art Foundation 《光学硝子五輪塔》 2011/ 1980 杉本博司 小田原文化財団蔵 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Odawara Art Foundation

「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景
2011/ 1980 © Hiroshi Sugimoto

 


モノクロームの海から
プリズムの成す色彩の海へ

 

順路に沿って進むと次の広大な空間には色彩が溢れている。透明なガラスの五輪塔とそこに現れたモノクロームの海を見たあとだけに、強い色が眼に飛び込むことにやや戸惑いを覚える。太陽光が光学ガラスのプリズムを通り、さまざまな色に分解される。それをとらえたのがこの作品群である。鮮やかな色彩、色から色への繊細なグラデーション。油絵具や岩絵具、普通の写真では表現し得ない色がここにある。

 

「このプリズムによる分光を発見したのは、近代物理学の礎を築いた英国の物理学者アイザック・ニュートン(1642年 – 1727年)で1666年のことでした。当時、ヨーロッパは伝染病ペストの脅威に襲われていました。それから逃れるため、ニュートンは故郷のウールスソープに戻り、研究を続けていたのですが、万有引力の発見など、彼の重要な発見や考察のいくつかはこのときになされたものです。光学の研究もその一つでした」

 

この展示の先には、杉本が所蔵するアイザック・ニュートン著『OPTICKS』の初版本が展示されている。以前、偶然、オークションで見つけ、手に入れたものだそうだ。

OPTICS OPTICS

《OPTICKS 》シリーズ 「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景
© Hiroshi Sugimoto

OPTICS OPTICS

《OPTICKS 》シリーズ 「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景
© Hiroshi Sugimoto

「このカラーの作品シリーズは《OPTICKS》と名付けました。これはもちろん、ニュートンの功績に敬意を評して、著書のタイトルから拝借したものです。そしてその展示スペースは『ニュートン廟』と名付けています。それは構想した架空の「寺院」には仏たちだけでなく、科学史上の巨人を祀っているということです」

 

杉本作品には珍しいカラー作品《OPTICKS》の部屋を抜けると、次は再びモノクロームの世界が展開される。蓮華王院本堂(三十三間堂)の千躰仏と中尊を撮影した《仏の海》の部屋があらわれるのである。

 

「三十三間堂は後白河法皇(1127年 – 1192年)が発願し、建立の資金協力を平清盛(1118 – 1181年)が引き受け実現したものです。完成は1165年。仏像群は東の日の出の方角を向いているので、日が昇るとき仏の顔はいっせいに光り輝きます。この瞬間をとらえるべく、日の出から始まり、建物の庇によって日が遮られるまでの早朝の数時間の間にこの千躰仏を48カットの写真に分割して、数日間をかけて撮影しました。これは後白河法皇の意図を少しでも写真で伝えようと試みたものです。しかも、仏像のお顔同士が重ならず、奥に並ぶ仏像の顔もはっきりと見えるようにかなりのハイアングルでとらえています」

 

巨大なプリントに引き伸ばされた三十三間堂の仏たちが居並ぶこの部屋もまた絶景である。

《仏の海(中尊)》《仏の海 》1995© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi提供:妙法院 《仏の海(中尊)》《仏の海 》1995© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi提供:妙法院

≪仏の海≫シリーズ 「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景
© Hiroshi Sugimoto

《仏の海(中尊)》《仏の海 007》1995© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi提供:妙法院 《仏の海(中尊)》《仏の海 007》1995© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi提供:妙法院

≪仏の海≫シリーズ 「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景
© Hiroshi Sugimoto

「その次の部屋にはまた、薬師如来の懸仏があり、古代のガラスによる装飾品などがあったり、マルセル・デュシャンの作品《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(通称:大ガラス)を撮影し、小型のプリントにし、ガラスで挟んだオブジェ作品《ウッド・ボックス》などを展示しました」

 

ヴェネツィアのムラーノ島で制作した《硝子茶碗 白瑠璃》はじめ、いくつかのガラスの茶碗もここに展示されている。その一つ、《硝子茶碗 泉》はデュシャンの《泉》へのオマージュ作品である。デュシャンピアンを自称する杉本らしい発想とウィットが込められている。形は想像してほしい。

 

さて、杉本が構想したこの寺院だが、東方瑠璃光浄土の思想に基づいて設計されているのである。展覧会名にある「瑠璃」とは仏教の七宝のひとつで半貴石のラピスラズリを指す。転じて、濃い青の色名。また、ガラスの古称でもある。「浄土」とは、仏教において、一切の煩悩や穢(けが)れから離れた、仏や菩薩が住む清浄な土地のことをいう。阿弥陀如来の西方極楽浄土の信仰が盛んになったため、それに対し、薬師如来の仏国土である浄瑠璃世界は東方浄土と呼ばれるようになる。

 

薬師如来が要所で姿を現したのも。あまねく世界を見渡す観世音菩薩の気配を感じたのも。千躰の仏が朝日に照らされ、浄土とはこのようなところということを示したのも。あるいは、ガラスで五輪塔を作っていることも。古代ガラスの装飾品を見せ、現代美術の始祖マルセル・デュシャンのガラスによる作品のオマージュ作品を見せていることも。神社社殿の階(きざはし)に光学ガラスを使っているのも。そして極めつけ、ガラスでできた茶室を美術館の庭の池に設置したのも。すべて、この世に宗教や科学という人類の叡智の先にある浄土を出現させてみようと試みた杉本の見た夢、もっと遡れば、来世でもまた栄華を誇りたいと願った上皇たちの見た一炊の夢だったと思わせるのである。

杉本博司 Hiroshi Sugimoto

1948年生まれ。1970年渡米後、1974年よりニューヨークと日本を行き来しながら制作を続ける。代表作に「海景」、「劇場」シリーズがある。2008年に建築設計事務所「新素材研究所」 、2017年に文化施設「小田原文化財団 江之浦測候所」を開設。演出と空間を手掛けた『At the Hawkʼs Well / 鷹の井戸』を2019年秋にパリ・オペラ座にて上演。著書に『苔のむすまで』、『現な像』、『アートの起源』など。2001年ハッセルブラッド国際写真賞、2009年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞、2010年秋の紫綬褒章受章、2013年フランス芸術文化勲章オフィシエ叙勲。2017年文化功労者に選出。2020年大規模リニューアルを終えた京都市京セラ美術館のこけら落としとして「杉本博司 瑠璃の浄土」を10月4日(日)まで開催中。2020年10月には『江之浦奇譚』発売予定。

◆「杉本博司 瑠璃の浄土」/終了

京都市京セラ美術館にて10月4日まで開催。《硝子の茶室 聞鳥庵》は展覧会終了後も、2021年1月31日まで公開中。

京都市左京区岡崎円勝寺町 124

075-771-4334(受付時間/10:00~18:00 12月28日~1月2日を除く)

 

Text by Yoshio Suzuki
Photography by Hokuto Shimizu(Portrait for Hiroshi Sugimoto)

Special thanks to Yuji Ono

最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。

ページの先頭へ

最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。